第1回 |
第2回 |
募集人員 |
男子 80名 女子 80名
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男子 40名 女子 40名
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試験日 |
2月1日(月)
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2月3日(水)
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出願期間 |
郵送受付: 1月20日(水)~1月25日(月) 最終日消印有効 |
窓口受付:
1月27日(水)~29日(金)
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窓口受付:
1月27日(水)~2月2日(火)
(日曜日を除く)
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受験料 |
25,000円
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25,000円(※注1)
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試験科目 |
筆記試験4教科〔国語・算数・理科・社会〕と面接 |
合格発表 |
2月1日(月) 校内掲示 (※注2)
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2月3日(水) 校内掲示 (※注2)
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入学手続日時 |
2月2日(火) ~2月3日(水) |
2月4日(木) ~2月5日(金) |
(※注1) 第1回、第2回の2回出願した場合(同時出願でなくても可)、第2回の受験料は
15,000円になります。
(※注2) 本ウェブサイトでもご覧いただけますが、必ず校内掲示を確認してください。
日本大学第二高等学校位于东京都杉并区,学校是日本大学的特别附属高校,在2014年度的升学考试中,有多名同学考入法政大学、东京理科大学和立教大学等等。校风很自由,像体育大会、文化祭等等这些活动都是以学生为中心进行组织。从学校的正门进入在右侧就能看见学校的创立者山野井龟五郎的铜像,上面写着学校的教育目标“信赖敬爱、自主协同、热诚努力”,这三条原则是我们在社会生活下去的基本原则。
日本大学第二中学校・高等学校は、東京都杉並区天沼一丁目にある男女共学の私立中学校・高等学校。中高一貫制。本校は日本大学の特別付属校であり、正付属校とは異なる。正門を入るとすぐ右側に、学校創立者山野井亀五郎先生の銅像があり、その右と左に五項目の教育目標とそれを要約した校訓三則「信頼敬愛・自主協同・熱誠努力」の銘板があります。この三則は、私たちが社会で生活していくための大切な基本の一つです。 人生を織物を織っていくことに例えるならば、皆様方が本校に入学したとき、この校訓三則を強い縦糸の一つにして、知育・徳育・体育・食育のバランスの取れた確かな学力を 横糸に加え、強く、破れることのない、貴方好みの人生模様を織り始めてみませんか。
さて、学校における大切な学習の一つは教科の学習です。どの教科も食事と同様に、好き嫌いせず、基礎基本の知識を繰り返しくりかえしの努力で習得し、それらを土台にして応用活用できるようにすることです。これは、試験等により点数化できる学力==目に見える学力です。
教科外の学習も大切です。2年生の林間学校(3泊4日)・3年生の修学旅行(3泊4日)学芸行事・文化祭・体育大会・マラソン大会・弁論大会そのほかの諸行事や学級活動、部活動に積極的に参加することにより得られる諸々の成果は、これから共に生き大人に成長していくための大切な学習の一つです。これにより身についた学力は点数化できない学力==目に見えない学力です。この2つの目に見える学力と、目に見えない学力が共に助け合い、真に生きる力を育む確かな学力となります。
本校で生活することにより、知らず知らずのうちに確かな学力が身についていきます。その学力は、やがては将来の大きな土台となることでしょう。中学3年間では、これからの時代を力強く、たくましく生きていくために必要な、目に見えない学力が多く培われると私は信じています。
沿革
1926年 - 校舎建築開始。
1927年 - 旧制・日本大学第二中学校開校。
1928年 - 旧制・日本大学第二商業学校(夜間4年制の甲種実業学校)開校。銀杏並木を植樹。
1932年 - 日大二商に昼間5年制の第一本科(甲種実業学校)を開設。従来の夜間部は第二本科に改称。 戦前の日大組織内では、二中と二商は「第二普通部」としてまとめられていた。
1944年 - 戦時統制により商業学校の募集を停止、日本大学第二工業学校に転換(翌年商業学校に復帰)。
1946年 - 日大から経営部門を分離する形で、財団法人日本第二学園が設立。日大二中は日本第二中学校、日大二商は日本第二商業学校に改称。
1947年 - 学制改革により新制・日本第二中学校が開校。
1948年 - 学制改革により新制・日本大学第二高等学校が開校。旧制・日大二商第二本科は新制高校の夜間4年制として継続。新制中学校も日本大学第二中学校に改称。
1949年 - 近隣にあった敷島女子中・高を吸収合併し、中高の女子部に改組。学園歌発表。校訓三則、色別学年章制定。
1950年 - 私立学校法に基づき学校法人日本第二学園に改組。
1953年 - 木造2階建て女子部校舎完成(現在の武道館の場所)。
1955年 - 体育祭で二高音頭が始まる。現在も高3の最後の締めくくりとして行われている。
1956年 - 西館鉄筋校舎完成。陸上競技部高校総体全国優勝。
1959年 - 野球部甲子園春夏連続出場。また、秋の国体初優勝。
1961年 - 本館男子部鉄筋校舎完成。
1963年 - 新制高校夜間4年制閉校。立川グラウンド造成。主に、野球部、ラグビー部が利用。
1964年 - 女子部鉄筋校舎完成。庭園を造成。荻窪の都電が廃止になり、線路の敷石が銀杏並木の並木道に移設された。この敷石は、2007年現在も南門側に現存している。
1966年 - 水泳プール(25m×9コース)、図書館棟(食堂1階、図書室2階、視聴覚室3階)、講堂兼体育館・地下体育館完成。
1969年 - 長野県志賀高原寮完成。
1973年 - 第一中・高、第三中・高と共に、「特別付属校」としての地位を確立する。
1976年 - 芸術校舎完成。
1982年 - 硬式野球部、夏の甲子園大会に出場(4年ぶり4回目)。
1983年 - 中学校舎完成。
1985年 - 理科校舎完成。1Fが生物、2Fが物理、3Fが化学、それぞれの実験室となっている。
1986年 - 武道館完成。 1Fが剣道場・トレーニングルーム、2Fが柔道場となっている。
1996年 - 中学部共学化に伴い、中学女子募集再開。創立70周年。
1997年 - 本館・新校舎完成。高校一斉に共学化。
2000年 - 卒業生総数35,753名。法人名を学校法人日本大学第二学園に変更。
2001年 - 21世紀初めの同窓生の集い21年ぶりに二高で開催。卒業生総数36,266名に。
2006年 - 創立80周年。
2007年 - 夏休みを利用して中校舎、体育館、図書館棟などを耐震補強工事、グリーンロード建設。その間、周辺の小学校などの協力を得て部活動などを行った。
2008年 - 立川グランドに、新棟完成。主に、硬式野球部・ラグビー部使用
2009年 - 硬式野球部は夏の西東京大会決勝で兄弟校・日大三高と対戦、準優勝となり27年ぶりの甲子園出場を逃す。
2014年 - 校庭が人工芝化される。