招生类型 | 日本高中留学招生 | ||
更新日期 | 2016-01-14 | 有效期至 | 长期有效 |
駒込中学校・高等学校は東京都文京区千駄木に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。
教育理念
駒込学園は、天和2年(1682年)に了翁禅師によって上野・寛永寺境内の不忍池のほとりに創立されました。当時は、「勧学講院」と呼ばれ、お寺の子弟のほかにも大勢の町人の子供たちが通っていました。その意味では社会に大きく開かれた「寺子屋」だったのです。
本学園は、現在から1200年前に伝教大師・最澄が「山家学生式」という書物の中に書き残した「一隅を照らす」という言葉を教育の理念として掲げています。人間にとって一番尊いものは、珠玉や金銭ではなく、「その人が置かれたその場にあって、ひたむきな向上心をもって全力を尽くす人こそ国や社会の宝である」という意味です。
その建学の精神は、現代でもいささかもあせてはいないのです。いや、むしろ今ほど「社会の宝」としての人間教育が求められている時代はありません。さきごろ、比叡山で開かれた「世界宗教サミット」では、この最澄の言葉が「Light Up Your World」と訳されて紹介され、世界に深い感銘を与えました。世界中が社会の宝となるべき人材を求めているのです。
勧学講院以来320余年-駒込学園は21世紀に向けて、いま新たな第一歩を踏み出しています。
教育方針
生徒一人ひとりが光り輝く人間になってほしい!
私たちはこのように念願しています。
中学高校時代の6年間は、人間形成の上で最も大切なときです。価値観が多様化し、人々の心のあり方があらためて問われている今、次世紀を担う若い世代の教育こそ私たちに課せられた使命です。
駒込学園は・伝教大師・最澄の「国宝とはなにものぞ-一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という言葉を建学の精神として、320余年の伝統を守り続けてきました。私たちは宇宙からみると、点のような小さなところ(一隅)で生きています。たとえ、小さくてもいい、今こそ、私たち一人ひとりがこの一隅でお互いが、かけがえのない貴い存在であることを認め合い、さらなる向上心をもって生きていく”一隅を照らす光り輝く人間”になるべきときなのです。
私たちは、このように考え、人間としてのあるべき姿を求め続けています。
沿革
1682年(天和2年)- 了翁禅師により「勧学講院」が上野不忍池の畔に設立され、これがこの学園の濫觴となる。
1873年(明治6年)- 校名を「天台宗東部総黌」と改め、校地は上野寛永寺境内に定められる。
1885年(明治18年)- 校名を「天台宗東部大中総黌」と改め、正式に天台宗立となる。
1904年(明治37年)- 校名を「天台宗中学」および「天台宗大学校」と改め、現在の場所に移される。
1925年(大正14年)- 12月12日付、宗門外からの生徒も加え普通課程の教育を行う。駒込中学校として文部省から認可される。
1926年(大正15年)- 4月1日より「駒込中学校」が開校する。
1945年(昭和20年)- 戦災で本館を残して校舎を焼失する。
1947年(昭和22年)- 学制改革に伴い新制の「駒込中学校」並びに「駒込高等学校」に改組する。この頃より校舎の復興が進む。
1952年(昭和27年)- 従来の男子教育に加え、4月1日より新たに「女子部」を開設する。
1962年(昭和37年)- 4階建ての新校舎が落成する。
1966年(昭和41年)- 男女共学制をしき、建学の伝統の現代的適応を図る。
1974年(昭和49年)- 服装を自由化する。
1976年(昭和51年)- 創立50周年記念として、格技場(主に柔道)が完成する。
1978年(昭和53年)- 新生徒ホール・新クラブ室が完成する。
1981年(昭和56年)- 4月に新体育館兼講堂が完成する。
1989年(平成元年)- 制服を新たに制定する。
1991年(平成3年)- 比叡山研修(高校1年生)を開始する。学習合宿(高校2年生)を開始する。
1992年(平成4年)- 昭和47年以来、募集停止中であった中学校を共学で再開する。
1993年(平成5年)- 中学学習合宿を開始する(中学2年生)。海外修学旅行(高校2年生)を実施する。
1995年(平成7年)- 創立70周年記念式典を挙行する。
1997年(平成9年)- 中学校再開第一期生が卒業する。
1999年(平成11年)- 九州・沖縄修学旅行を実施する(高校2年生)。
2003年(平成15年)- 地上6階・地下1階の、IT時代に対応した高校新校舎が落成する。