平成28年度募集要項(抜粋)
高校推薦入試
募集人員 |
32名 |
出願資格 |
(1)平成28年3月に中学校を卒業見込みの者。
(2)本校への進学を第1志望としている者。
(3)9科(5段階評定)合計32以上・美術4以上・評定「1」の無い者。 |
提出物 |
(1)願書
(2)調査書(本校所定の書式)
(3)推薦書(本校所定の書式)
(4)作品2点
・卓上静物水彩画(画用紙 B3(36.4~39.5cm×51.5~54.5cm))縦横自由
・卓上静物鉛筆デッサン(画用紙 B3(36.4~39.5cm×51.5~54.5cm))縦横自由
※本校の「夏期講習会」と「秋の実技講習会」で描いた作品は不可。 |
願書受付 |
1月18日(月)・19日(火)持参または郵送必着
※持参の場合は9:00~17:00 |
試験日 |
1月22日(金) |
面接 |
約10分 |
発表 |
試験日当日 16:00頃 (校内掲示・ホームページ・携帯サイト) |
高校一般入試
募集人員 |
33名 |
試験科目 |
学科:国・数・英 ※各100点・各 50分
水彩・鉛筆デッサンより一方を選択 ※ 150点・120分
面接(約3分) |
願書受付 |
1月25日(月)~2月8日(月)郵送必着
※2月9日(火)持参のみ受付可(9:00~12:00) |
試験日 |
2月10日(水) |
発表 |
試験当日21:00頃(ホームページ・携帯サイト)
※校内掲示 2月11日(木)10:00~12:00 |
高校入試「入試相談」
12月15日(火)、16日(水)、17日(木)実施予定です。
教員対象「入試相談説明会」
11月13日(金)、24日(火) 両日とも第1回16:30~、 第2回18:00~
私立中学校、遠方及び埼玉県公立中学校の保護者対象「入試相談説明会」
11月 7日(土)13:30~、11月21日(土)学校説明会終了後の予定です。
編入学・帰国子女入試については下記にお問い合わせください。
女子美術大学付属高等学校・中学校
入試実施本部・広報部
TEL:03(5340)4540・4650
本校是位于东京都杉并区的一所私立的女子高等学校。是女子美术大学的附属学校。
作为国内的私立的历史最悠久的美术学校,也是国内唯一的美术大学附属学校。历经旧制佐藤高等学校,现在发展成为私立的女子中高一贯校。
历史沿革:
1900年 - 私立女子美術学校設立。
1901年 - 本郷区弓町(現在の文京区本郷)に弓町校地が落成。初代校長に藤田文蔵が就任。
1908年 - 弓町校地が火災により焼失。
1909年 - 本郷菊坂町に菊坂校地が落成し弓町より移転。
1915年 - 菊坂校地に女子美術学校付属高等女学校を開校。初代校長に佐藤志津(私立女子美術学校長を兼任)が就任[1]。
1916年 - 女子美術学校付属高等女学校を私立佐藤高等女学校へ改称(同年1月17日)。戸野みちゑが第二代学校長に就任[2]。佐藤志津は名誉校長に就任。
1917年 - 鏡友会が発足(同年6月25日)[3]。
1919年 - 第三代学校長に浜 幸次郎が就任[4]。
1928年 - 菊坂校地の老朽化と狭隘化により新校地を豊多摩郡和田堀町和田に取得(同年6月)[5][6]。
1935年 - 杉並校地が落成し和田本町(現在の和田)へ移転[5]。菊坂校地は私立佐藤高等女学校専用校地となる[5]。「梅」「松」「桜」の3学級に「竹」を追加し4学級体制となる[7]。
1940年 - 第四代学校長に土田忠二が就任[8]。
1943年 - 私立向島高等女学校の廃校により佐藤高等女学校第三学年と第四学年にそれぞれ生徒50名を受け入れる。「菊」を追加し5学級体制となる[9]。
1944年 - 第五代学校長に加藤成之が就任[10]。
1945年 - 空襲により菊坂校地が全焼。私立佐藤高等女学校は杉並校地へ移転[5]。
1947年 - 学制改革により新制佐藤中学校開設(同年4月)。「先生と父母の会」(PTA)が発足(同年10月1日)[11]。当初の会員は430名。名誉会長に加藤成之が就任。
1948年 - 学制改革により新制佐藤高等学校開設(同年3月)。
1949年 - 第六代学校長に佐藤達次郎(大正10年から昭和19年まで私立女子美術学校長)が就任[12]。
1951年 - 佐藤高等学校・中学校を女子美術大学付属高等学校・中学校へ改称。
1954年 - 桑沢洋子デザインのフレアスカート・リボン型制服を採用(同年4月より)[13]。
1957年 - 第七代学校長に加藤成之が再就任(女子美術大学長を兼任)[14]。
1960年 - 長野県軽井沢町に「軽井沢寮」を開設。女子美術大学創立60年記念祭を挙行(同年10月29・30・31日)。
1962年 - 杉並校地6号館(旧・付属校舎、現・芸術学部校舎)が3月に落成し、同年5月26日に竣工式を挙行。
1963年 - 中学校各学年2クラス(計6クラス)353名と高等学校1・2年各5クラス(計10クラス)、高等学校3年3クラス710名を合わせ19クラス・1063名を収容。
1964年 - 「東京都高等学校生徒急増対策」の実施に伴い高等学校を16クラス体制とし、計22クラス・1200名を収容。「楓」を新設(3年間のみ)[15]。
1967年 - 「東京都高等学校生徒急増対策」の終了に伴い21クラス・1150名へ減員[16]。
1971年 - 第八代学校長に小串辰子が就任(同年1月)[17]。
1976年 - 付属アトリエ校舎(現・9号館)が落成[18]。
1980年 - 女子美術大学創立80周年記念式典挙行。女子美術大学八十年史を発行[18]。
1986年 - 第九代学校長に古川成太郎が就任[18]。
1989年 - 第十代学校長に美術史家の永井信一(女子美術大学名誉教授)が就任[18]。
1990年 - 女子美術大学創立90周年記念式典挙行。
1991年 - 第十一代学校長に市川三千代が就任[18]。
1994年 - 第十二代学校長に長谷川栄一郎が就任[18]。
1996年 - 女子美術大学杉並校舎に展示施設「ガレリア ニケ」を開設。
2000年 - 女子美術大学創立100周年記念式典挙行[18]。女子美術大学百年史を発行[18]。第十三代学校長に洋画家の入江観(女子美術大学名誉教授)が就任。
2001年 - 女子美術大学相模原校舎に女子美術大学美術館(女子美アートミュージアム)を開設。
2006年 - 第十四代学校長に小河秋好が就任。
2007年 - 杉並キャンパスの整備事業を開始。「ガレリアニケ」を休廊し学外ギャラリー「女子美ガレリア ニケ」を開廊。
2008年 - 第十五代学校長に洋画家の鴫剛(女子美術大学名誉教授)が就任。
2009年 - 「女子美ガレリア ニケ」を休廊し中央区銀座に「銀座gallery女子美(GGJ)」を開廊。第十六代学校長に洋画家の継岡リツ(女子美術大学大学院兼任講師)が就任。
2010年 - 旧3号館を解体し付属校舎が落成(同年1月)。旧1号館を解体し駐輪・駐車場を設置。付属中学校に「桜」を追加し1学年4クラス・135名定員となる(同年4月)。旧和田寮を解体し新体育館が落成(同年10月)。
2012年 - 旧体育館を解体し7号館が落成(同年3月)。「銀座gallery女子美(GGJ)」を閉廊(同年3月)。旧東京文化幼稚園・小学校舎を取得し1号館へ改称。1号館内に「女子美ガレリア ニケ」を開廊し女子美術大学歴史資料室を併設。
2013年 - 旧4号館を解体しグラウンドを拡張。杉並キャンパスの整備事業を完了(同年3月)。第十七代学校長に版画家の小川正明(女子美術大学名誉教授)が就任(同年4月)。
2015年 - 女子美術大学付属高等学校・中学校創立100周年記念展覧会[19]および記念式典の開催、記念作品集・略年史の刊行、記念壁画の制作を挙行。